嘉納治五郎
誰もが知る柔道の創始者。しかし1940年東京大会招致の立役者であることを、ぼくはこの写真で初めて知った。かつて五輪は欧米の諸都市で開催されていた。嘉納は、東京で五輪を実現させることで「欧米のための五輪」を「世界のための五輪」にすることを願った。東京五輪開催が決まったとき、嘉納はこう呟いた。
『36票の重みは、日本が世界に平和を公約した重みでもある。日本政府が、関係者が、日本国民が、その数の重みを本当に理解し、これからの日本が進んでゆくことを、唯々祈るばかりだ。…本当にそうなっていくだろうか』
而して嘉納の願いは届かず、1940年東京大会は「幻の五輪」となった。開催権を返上せず、あの時もし五輪が東京で実現していたら……。
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