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>写真とは中国語の「眞を寫したもの」に由来する。
さまざまな写真からさまざまな物語が生まれる。物語は、写真を眺める人が生きる時代の移り変わりにつれて、大きく変わっていく。2010年代を生きる私たちは、東京五輪にまつわる過去の写真から、どのような物語を読み取るのだろうか。

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嘉納治五郎


誰もが知る柔道の創始者。しかし1940年東京大会招致の立役者であることを、ぼくはこの写真で初めて知った。かつて五輪は欧米の諸都市で開催されていた。嘉納は、東京で五輪を実現させることで「欧米のための五輪」を「世界のための五輪」にすることを願った。東京五輪開催が決まったとき、嘉納はこう呟いた。

『36票の重みは、日本が世界に平和を公約した重みでもある。日本政府が、関係者が、日本国民が、その数の重みを本当に理解し、これからの日本が進んでゆくことを、唯々祈るばかりだ。…本当にそうなっていくだろうか』

而して嘉納の願いは届かず、1940年東京大会は「幻の五輪」となった。開催権を返上せず、あの時もし五輪が東京で実現していたら……。

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沢村栄治


伝説の大投手。時代を越えて「英雄」として語り継がれる。かつて沢村はただ一度だけ、メジャーリーグの強打者たちを抑える活躍を見せた。甲子園を沸かせてから中等学校を中退した17歳の少年が、ベーブ・ルースやゲーリックといった大男たちをきりきり舞いさせる姿に、日本人は歓喜し、喝采を送ったことだろう。しかし戦争がはじまる。沢村はいく度も徴兵され、上官から命じられるままに手榴弾を投擲し、肩を壊す。そして終戦の前の年の1944年、3度目の出征で命を落とした。戦争は名投手を殺し、悲劇のエースへと変えてしまった。沢村が現役時代につけていた背番号「14」は今も巨人の永久欠番だ。

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孫基禎


1936年五輪ベルリン大会においてマラソン男子「アジア人初」の金メダルを獲得。当時の朝鮮は日本の占領下にあり、孫は「日本代表」選手として出場した。優勝し、表彰台に登る孫をとらえた写真のなかで、日の丸は塗りつぶされていた。孫、そして朝鮮の人々にとって、「日本代表」と「日本人」はもちろんイコールであるはずがない。

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円谷幸吉


1964年の東京五輪最終日、マラソン男子で銅メダルを獲得。円谷がマラソン競技に本格的に取り組みはじめたのは、五輪開催のわずか7か月前であった。腰を痛め、顔を歪めながらも、陸上競技唯一のメダリストとなった。ゴール直前まで英国人選手とのデッドヒートを演じ、一躍スポーツ界の英雄となった円谷。四年後のメキシコ五輪に向け、メダル獲得の期待と重圧がのしかかる。1968年メキシコ五輪大会の年、頸動脈を自ら切り命を絶ってしまう。『幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。』遺書には、家族への感謝の意とともにそんな言葉が書かれていた。円谷の死は、アスリートに対するメンタルケアのあり方を再考させ、その後のスポーツ界を変えていく。

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